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例会報告

2023.09.10

例会報告

続日本百名城の大和郡山城から矢田山

開催回

第2013回

日程

 令和5年6月25日(日) 曇り

参加者

CL永野  (13名)

活動内容

コースタイム
JR 郡山駅9:12~郡山城追手門9:49~竹林門跡10:09~大和民俗公園昼食(11:14~12:10)~矢田坐久志玉比古神社12:28~東明寺13:05~矢田山三角点14:12~頂上展望台14:35~矢田峠14:50~近鉄萩の台駅解散15:40

平成29年(2017)4月6日城の日に続日本百名城に選定された郡山城は、秋篠川と富雄川に挟まれた西ノ京丘陵の先端に築かれた平山城で、天正8年(1585)織田信長が筒井順慶を城主とし、その後豊臣秀吉の弟秀長が入城し整備が進み江戸中期以降は、柳澤家の居城となった。丘陵で石材が調達出来なかったので、天守台には平城京南の正門の羅城門の礎石·石仏·墓石などが石垣に転用された。天守台の標高は81m東には、若草山·東大寺大仏殿5月に上皇夫妻が訪れた薬師寺東搭など西には、矢田丘陵·葛城山·金剛山等が遠望出来る。奈良県大和郡山市と生駒市にまたがる奈良盆地の北西に位置し、竜田川と富雄川に挟まれ信貴生駒山地と平行して南北約13Kmに連なる矢田丘陵の稜線には、標高300m前後の山が続き松尾山315mと矢田山340mの2つのピークを結ぶ整備された縦走コースは、展望も優れ生駒山地や若草山を初め奈良盆地が一望出来る。矢田の地名は饒速日命(にぎはやひのみこと)が高天原からの降臨に先だって天磐船より三本の矢を放ち射た矢が落ちた所を宮所に定めるという伝承に基づき山麓に一之矢塚·三之矢塚が矢田坐久志玉比古神社境内に二之矢塚がある。邪馬台国の所在地論争では、奈良纏向遺跡の畿内説が有力視されているが、6月5日に佐賀県の吉野ヶ里遺跡(日本100名城)で未盗掘の石棺墓の内部調査が始まった。矢田の邪馬台国伝承を含め1800年前の古代の謎に思いを馳せたい。

JR 郡山駅前の花時計を北に向かい、外堀緑地北門をくぐり、城下町の雰囲気が漂う外堀の、せせらぎの音に1/fゆらぎの癒しを感じながら散策する。街角の水槽で涼しげに金魚が泳ぐ箱本館(藍染商の町家)より金魚ストリートの奈良県最古の和菓子屋菊屋とみて周り城下町の面影が残る町家巡りをし、三の丸緑地より近鉄橿原線を渡る。「さくらの名所100選の地」碑より内堀と五軒屋敷堀の間を北に向かうと、左手に追手向櫓·多聞櫓右手に東隅櫓·中央に追手門が構え堂々たる風格が漂う続日本百名城の郡山城跡に着き城内へ。極楽橋を渡り柳澤神社より三層の天守閣が聳えていたと伝えられる天守台に造られた展望台に登る。東には春日山や若草山の稜線が西には矢田丘陵の峰々が360度の展望で楽しめた。竹林門跡より城外に出て郡校グラウンドの手前を右折し矢田口交差点より矢田寺線で2022年ロボコン全国優勝の奈良高専に沿った次の信号を右折し大和民俗公園南口より自然林に囲まれた約26万平米の敷地に奈良県各地から移築復元された茅葺き屋根の古民家を見て周り東屋で昼食。

食後本家菊屋で中島さんが購入された城主豊臣秀長が秀吉を、もてなす為に菊屋に作らせたのと同じ悠久の時を経た「御城之口餅」の差し入れを全員で食べ出発。遊歩道に沿って植樹された紫陽花の咲きこぼれる鮮やかな花が、目を楽しませてくれる。西口を出て道標により、矢田坐久志玉比古神社境内の二之矢塚を見て東明寺に向かう。途中のY字路を右へ進むと伝承邪馬台国想定地の三之矢塚で左を取り、東明寺で平家物語冒頭に出てくる沙羅双樹の白地に花心が檸檬イエローの満開の花を見て、二カ所ある分岐は、左を選び緑ヶ丘休憩所を経て縦走路に登り着く。点名矢田山331.8mに登頂し、まほろば展望台で奈良市街地を眺望、矢田山遊びの芝生広場340mに建つ頂上展望台に登り、生駒山脈東面を見渡す。山頂稜線に沿って林立するアンテナ群が顕著な盟主生駒山、南部稜線の東側に位置する信貴山は、南北に二つの頂を持つ端麗な双耳峰で雄岳と雌岳を結ぶ、なだらかな稜線は、美しい吊尾根を形成し、その山容は大和の名峰と言える。反対の郡山側は、樹林に遮られて眺望は無い。縦走路の矢田峠より、乙田町への幅の広い遊歩道を下って近鉄萩の台駅で解散。  永野記

 

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