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例会報告

2023.09.10

例会報告

桐山・二河原辺道

開催回

第2016回(金剛山第819回)

日程

令和5年7月16日 (日)   晴れ

参加者

CL永野 (21名)

活動内容

コースタイム
森屋バス停8:28~くすの木ホール8:47~桐山·二河原辺道登山口9:18~上赤坂城跡9:51~砦跡10:16~猫路城跡10:42~上岩坂11:03~鉄塔昼食(11:30~12:00)~坊領山分岐12:27~鉄塔12:43~セト13:50

金剛山は、大阪府と奈良県の府県境に聳え最高峰葛木岳を中心に横峰·白雲岳·大日岳·湧出岳と従えて堂々たる山容を誇る。山麓より山頂へは、全方位より登路が拓かれていて、変化に富んだ山行が楽しめ季節を問わず多くの登山者で賑わい日本有数の登山者を数える。桐山·二河原辺道は、山頂を目指す数多くの登山道の中でも距離が長いコースで登山者と出会うことも少なく自然とのふれあいに恵まれた静かな山歩きが楽しめ、コースの随所で南北朝時代の武将·楠木正成の歴史ロマンも感じられる。6月10日には、楠木正成をテーマにした講演会「甦れ大楠公親子の絆·大河へ」が河内長野市のラブリーホールで開催され内容は、楠木正成·正行親子を顕彰するもので、NHK大河ドラマ化の機運を高めようと企画されていました。楠公さん大河ドラマ誘致協議会会長で河内長野市長の島田智明氏の講演が行われ楠公さんファンが多数訪れました。もう一つの特徴は、金剛バス森屋バス停標高112mより金剛山湧出岳標高1112mまで標高差1000mを登るコースとして高山を目指す登山者のトレーニングの場として利用されています。金剛山赤坂古道の桐山·二河原辺道と二河原辺·水分道は、千早赤阪村在住の人達によってH23年10月に結成された金剛山千早赤阪倶楽部会長の東條氏や名誉会長の西野氏を初め村民有志の人達の熱意によって、古道を復活整備されたルートで活動についてはTV で放送され読売新聞·産経新聞等に掲載されました。二つのルートは、昭文社山と高原地図「金剛·葛城 生駒山·紀泉高原」に記載されていて、今回は金剛山千早赤阪倶楽部会長の東條氏より戴いた地図を参考にしました。
くすの木ホール横の楠木正成の誕生地に、大久保利通の命により建てられた大楠公誕生地の大きな碑の前で朝礼。道の駅ちはやあかさかを抜けて足谷川右岸に沿った道路で南河内グリーンロードに出て、足谷川に架かる二河原辺橋を渡り、桐山大橋手前を左折し要塞群を巡る桐山·二河原辺道に入る。山道に沿って続く紫陽花の並木が途切れた所でコースを離れ登城ルートで鎌倉幕府の大軍を相手に防戦した楠木正成の本城と言われた尾根の突端に築かれた上赤坂城本丸跡340mに登り着く。眼下の金剛バス農作物直売所のバス停南西方向の千早赤阪中学校の裏手一体には、前衛の城としての役割があった下赤坂城があった。上赤坂城の戦いは、楠木正成40歳の元弘3年(1333)2月22日北条氏による鎌倉幕府軍の総攻撃が始まる。太平記によれば、8万の大軍で攻められ、城を守った楠木軍は300余人で、城には水源が無く足谷川上流の猿滝から樋を使い水を 取っていたが、水路を断たれ10日余りで落城した。

大阪平野の眺望を楽しみ本丸跡より南に向かい、平らになった更地の屋敷が建っていたと考えられる広場の端より下り、コースに戻る。砦跡で休憩し道標により猫路城跡に向かう。猫路城が千早川と足谷川に挟まれた急峻な標高405mの山頂に建てられたのは、上赤坂城の後方の守りを固める重要な位置として築かれた。主郭は東西約60m左側は急な崖になっていて、下に二重の空堀が残る。50m程先のト字分岐は、直進すれば上赤坂城方面に戻ってしまうので、右を取り緩やかに下って行く。木漏れ日が眩しい斜面沿いには、ガク咲きヤマアジサイのブルーが涼しげに咲き誇る。左下の足谷林道への下降点上岩坂の道標で休憩。急登を繰り返したところの鉄塔下には炎天下ホタルブクロが吊り鐘状の白い花を咲かせている。鉄塔下の日陰や少し下った稜線上で昼食休憩。山頂に坊領山城があったベンチが置かれた坊領山分岐で休憩。日当たりが良くススキに被われた二つ目の鉄塔の足下を通過し、急登と水平道歩きを繰り返しながら高度を上げて行く。清井山ルートと合流し、グリーンのフェンスに囲まれた無線中継所跡の横を通り、青崩道と合流し、桐山·二河原辺道の全コースを踏破する。青崩道の緩い下りが続き鞍部になったセトに着き解散。 永野 記

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