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例会報告

2022.10.20

例会報告

市 章 山 ・ 錨 山

開催回

第1975回 

日程

 令和4年9月25日(日)   晴れ

参加者

 CL 永野  (22名)

活動内容

コースタイム
三宮駅9:03~生田神社9:10~ラインの館9:34~北野川源流9:48~港みはらし台10:00~二本松林道分岐11:13~堂徳山三角点11:21~市章山昼食(11:45~12:20)~錨山12:28~ビーナステラス12:55~大倉山電子基準点13:45~湊川神社14:10~高速神戸駅解散14:25

市章山275mは、兵庫と神戸の二つの港を表した神戸市章の山麓電飾が、2月24日に始まったロシアの軍事侵攻を受けるウクライナへの連帯と戦争反対を示そうと、3月より上部が青色下部が黄色のウクライナカラーでライトアップされている。山麓に浮かぶウクライナ国旗の青と黄色の光に照らし出された神戸市章の電飾に、平和を祈る思いが広がっている。錨山260mは、錨マークを模した山麓電飾が灯ることから名付けられた山で碇山とも表示される。オリックスバファローズ・ヴィッセル神戸が勝った夜には、通常電飾ではなくブルーの電飾がみなと神戸の山麓に浮かび上がり、夜景はランドマークになっている。通常の電飾が始まったのは、市章山は1967(S42年)神戸港開港100周年記念として、錨山は1981(S56年)開催の神戸ポートピア博覧会(神戸ポートピア81)記念として、日没後から23時まで点灯されている。市章・錨上部の展望台からの眺望は素晴らしく、神戸市街地やベイエリア遠望すれば、大阪湾を一望することができる。 生田の森を東門街へ抜け、山手幹線を渡るとハンター坂の登りが始まる。異人館通りを東に向かい北野坂の北野物語館(カフェ)前を通り北野通りに着く。通りの両側には、異人館が立ち並び英国館の二階には、シャーロックホームズの部屋が再現されている。ラインの館で館内を見学し石段を登り、石畳の径を歩き円形の北野町広場で休憩。萌黄の館の北側には、二級河川北野川の川起点の石標が立ち、側溝の水は風見鶏の館の裏側へ流れている。ハンター迎賓館の角を北に向かいデンマーク館より、うろこの家の鱗の建物を裏側から見て港みはらし台に着き、眼下の神戸市街地を眺望し休憩。城山・二本松の標柱で堂徳山国有林の背山散策路の北野道に取り付く。イノシシの防獣フェンスの扉を開け一歩足を踏み入れると、異人館が立ち並びレトロとモダンが交錯し、異国情緒溢れる世界から一変し、山道の土が掘り返され今にもイノシンが飛び出して来そうな異様で荒涼とした風景が広がる。天神谷東尾根出合の展望所で休憩。
近くに北前船の電飾がありますが、登路の詳細について書籍やスマホアプリにアップされていません。城山分岐より二本松林道分岐を左にとり堂徳山337.5mに向かう。プレートち37-9より尾根を南に向かうと3等三角点があり点名は、口一里。再度山ドライブウェイを横断し山道を下り、もう一度横断し、市章山展望台で昼食休憩。食後少し下った錨山展望台で、ikariスーパーJR大阪店の、いか豆を全員で食べ市街地の名所案内板を見て眺望を楽しむ。展望台から見える神戸のビル群は、ごく普通の大都市の風景と変わりは無い。日没後の夜景も美しい。だが少しの想像力を働かせると林立するビルの向こう和田岬沖に広がる海から、かって足利尊氏が大小五千もの大船団を率いて、九州より湊川へ押し寄せたと気付いた瞬間無機質な神戸の街並みは、血の通った歴史物語の舞台へと変わる。錨電飾に沿って下り、ビーナステラスで休憩。ビーナスブリッジ封鎖!!で車道を大回りして金星台より諏訪山公園下交差点に下山。再度谷川に沿って大倉山公園に向かう。大倉山の頂きには電子基準点が置かれており、周りのふるさとの森
には、全国35県の県を代表する樹木が植栽されている。中央体育館を経て湊川神社へ。延元(1336)元年5月25日朝この地の西方向会下山約85mに菊水の旗を翻し、7百余騎で陣を張った楠木正成率いる楠木軍に対し、足利尊氏を総大将とする水軍及び陸路の軍数万人(太平記では50万人)の湊川の戦いが繰り広げられ、夕刻には楠木軍は70余騎にまで減少し、もはやこれまでと弟正季と刺し違え自害した殉節地を訪れる。元禄元年(1688)当所を参詣した松尾芭蕉は、「なでし子に かかる涙や 楠の露」の句を詠む。元禄五年水戸藩主徳川光圀の筆による楠木正成の墓「嗚呼忠臣楠子之墓」を参拝して、残暑は遠のき秋の気配が色濃くなった神戸の街並みを見ながら高速神戸駅前で解散。    永野 記

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