例会報告
2025.11.16
猿子城山
開催回
第2118回(金剛山第855回)日程
令和7年10月12日(日) 曇り雨
参加者
CL 永野 (18名)
活動内容
コースタイム
滝畑トイレ9:20~二条の滝9:50~ボテ峠10:11~猿子城山山頂
11:12~十五丁石地蔵昼食(11:35~12:00)~桧原分岐12:20~
施福寺(13:15~14:10)~桜ノ辻14:50~滝畑ダムサイトバス停15:33
猿子城山709m は、大阪府河内長野市と和泉市の市境に聳え、和泉山脈最東部の北側で、槇尾山と上山(西勢山)に挟まれた山で滝畑ダム東岸からは、湖面越しに屹立した雄姿を見ることが出来る。昭文社の山と高原地図に秀麗な山容と紹介されている猿子城山は、山名に干支のサルの名を冠し、十二支の山として有名で、申年の新年山行では沢山の登山者で賑わうが、今は静かな山歩きが楽しめる。ヤセ尾根の狭い山頂は、松杉桧の混生林に囲まれ眺望に望まれないが、樹林越しに近年注目を浴びている槇尾山「和泉の摩周湖」と呼ばれているエメラルドグリーンの神秘的な池の湖面を見ることが出来る。山頂には、南北朝時代鬼ヶ城と呼ばれた砦があったと伝えられ、往時の遺物が出土しているが、石垣や土塁などの城郭遺構は見られない。猿子城山北尾根の番屋峠(ボテ峠の北側の峠)には、虎口(曲輪への出入口)の防塁とした石垣が残り、その先の追分にも立派な石垣が残っている。
岩湧山滝畑登山口に新しくなった、高級リゾート地並みの綺麗なトイレ滝畑トイレの前で朝礼。石川に架かる新関屋橋を渡り、右手眼下に滝畑湖畔バーベキュー場を見ながら進んで行く。吊り橋の新サムライ橋西詰の広場で左折し、ダイトレの道標を確認し民家とコンクリートの擁壁に挟まれた狭いコンクリートの階段を登り山道に入る。丸太階段が続き、岩を削った石段道の先より植林地の緩やかな登りが続き、落差約5m の二条の滝の前を木橋で渡る。大崩落した崖の上に新しく柵とクサリが張られた崖道より、岩湧山西峰山頂部のカヤト(ススキ)の草原を眺望する。谷の源流部の濡れた岩盤の上を慎重に通過し、緩やかな登りが続き少し下って、猿子城山への分岐があるボテ峠477m に着き休憩。ボテ峠より猿子城山の尾根に取り付き、上山谷と岩屋谷に挟まれたヤセ尾根を、しばらくは稜線に絡みながら緩やかに登って行く。尾根の幅が急激に狭くなった辺りから急斜面の急登が始まる。断続的に架けられた4本のフィックスロープを補助とし、足場の悪い急斜面をよじ登って行く。城があったと伝えられる緩やかな台地になると、その先にある一段高い東西に伸びる台形状の尾根の西側ピークに登り着く。少し前から小雨が降りだし、山頂はガスに覆われた為槇尾山「和泉の摩周湖」と呼ばれる池は見ることが出来なかった。山頂には、山名板と丸太を並べたベンチがあり休憩。
山頂より急坂を下り、小ピークを登り返し、狼谷の縁に沿った緩やかな山道を下って行き十五丁石地蔵の広場に着き昼食休憩。第3番札所の粉河寺より、十五丁石地蔵の辻を経て、歩き巡礼での第4番札所の施福寺を結ぶ古道は、桧原越と呼ばれ西国三十三所の中でも最も過酷で最難関と言われてきた。食後谷の縁に沿った緩やかな下りで五ッ辻分岐、少し進み桧原分岐に着き休憩。古道の参道を槇尾山施福寺に向かって植林地の中を歩き、北の屯鶴峯と南の槇尾山を結ぶ金剛葛城山地に付けられた全長約45km のダイヤモンドトレールの起点を施福寺境内の入口に埋め込まれたダイヤモンドトレール槇尾山起点の石碑で確認し、槇尾山施福寺485mの境内で休憩。境内を出て、ダイトレを進み桧原越への分岐を左に取り下って行き、ダイトレと岩尾谷林道が交差する追分350m で、ダイトレを左折し東槇尾川に沿った林道を下って行く。施福寺への荷揚げ用のロープウェイ跡より、施福寺への林道と交差する桜ノ辻を経てR 61府道堺かつらぎ線に出合う。右折して緩やかに登って行くと、左側に金剛山系では最近ほとんど見なくなったアケビの実が鈴なりに成っていて、全員にいきわたるよう分け、アケビを食べながら塩降トンネルを目指す。トンネルを抜けると下りが続き滝畑ダムへ注ぐ東槇尾川に架かる潮降橋を渡り、滝畑ダムサイトバス停に着き解散。 永野
