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例会報告

2022.03.10

例会報告

初山行 信貴山

開催回

第1940回

日程

令和4年1月9日(日)  晴れ

参加者

CL 永野  43名

活動内容

コースタイム
信貴山下駅9:05~信貴山バス停9:52~展望台10:07~仁王門10:25~朝護孫子寺本堂10:40~雌岳11:10~雄岳(空鉢護法堂)11:25~松永屋敷跡昼食(11:45~12:25)~奥之院12:51~竜田川駅14:06

大阪・奈良の府県境に位置する生駒山地、その南北を貫く主稜線南端の少し東寄りに派生した尾根に位置する山を信貴山と名付けたのは、昨年1400年御遠忌が行われた聖徳太子という。
毘沙門天の申し子と言われた楠木正成の幼名「多聞丸」は信貴山毘沙門天の別称「多聞天」にあやかり「多聞丸」と名付けられた。信貴山は双耳蜂の山で、雄岳と雌岳の二つの山体は、あたかも寄り添う夫婦のような山容が美しく、古来より聖なる山と崇敬されてきた。
寛政3(1791)年に著者秋里籬島・絵師竹原春朝斎の人気を博した名コンビにより出版された「大和名所図絵」信貴山には、日本四大絵巻の一つで平安後期作の信貴山縁起絵巻(国宝)で名高い朝護孫子寺を中心に俯瞰して信貴山を描き双耳蜂の頂上二蜂を「おだけ」「めだけ」と記している。頂上の二蜂は、北蜂を雄岳標高437M、南蜂を雌岳標高400.5Mと呼びJR王寺駅や大和川に架かる昭和橋付近から眺望することができる。同じ双耳蜂二上山の雄岳517M、雌岳474.2Mを少し小ぶりにした大きさでよく似ている。2022年は、干支の寅年にちなみ寅に縁のある朝護孫子寺の世界一の張り子の虎を見て信貴山で新年初山行を行う。
近鉄生駒線信貴山下駅の駅前ロータリー広場に展示している旧東信貴ケーブル(1983年まで運行)車両の前で朝礼。大村会長より年頭の挨拶を訊き、大阪府の吉村知事より生涯現役スポーツ賞受賞で会よりいただいた賞金で購入した「めでたいこと招きタイガー!」の虎のパッケージに入ったkitkatを全員にお裾分けし出発。ケーブル跡ハイキング道は、前半の900Mは住宅街の中を冬場の日だまりハイクを楽しみながら緩かに登っていく。真冬の高層気流で空は魂が吸い込まれるように青く染まり、陽光は眩しく輝く。後半の900Mは樹林帯の中昔のケーブルの枕木が残る廃線跡を信貴山バス停まで登る。
旅館や料亭が並びレトロな門前町の風情を残す表参道より展望台に向かう。信貴山眺望最高のポイント展望台は、双耳蜂雄岳と雌岳が眼前に迫り、雄岳の中腹には急崖に張り出して造られた朝護孫子寺本堂舞台の朱色の欄干と山の緑とのコントラストが美しい。表参道へ下り古民家カフェや千体地蔵の前を通り仁王門をくぐる。世界一の福寅より赤門をくぐり建ち並ぶ堂搭伽藍の中を本堂に向かう。舞台からは、眼下に冷気を含むガスが漂い古都奈良の幻想的な風景が拡がる。朱塗の鳥居のトンネルをくぐりながら登り、馬ノ背より左手雌岳北端に登り着く。西側の渓谷には弁財天の滝が掛かつているが樹々に隠れて見えない。遠望し湧き上がる霧に浮かぶ高安山を中心とした生駒山脈主稜線の峰々を眺めながら南端に設置されている四隅を石で守られた金属製の1等基準点を往復する。
馬ノ背に戻り朱色の鳥居をくぐりながら登ると信貴山城址碑に登り着く。雄岳頂上白蛇の空鉢護法堂からは南に眺望が拡がり二上山から葛城山を望む。山頂より北側に延びる山道の樹林帯に降り注ぐ陽光は弱く、吹く風は冷たく肌をさす。山道を下り松永屋敷跡に向かう。松永久秀は大仏殿が焼けた永禄10(1567)年10月10日から10年後の10月10日織田信長の息子信忠を総大将とする信貴山城攻めにあい名器「平蜘蛛茶釜」を粉々に叩き割り屋敷や城に火を放って自刃する。「麒麟がくる」では、吉田鋼太郎が迫真の演技を見せました。自刃した松永屋敷跡の下にある広場で昼食。休憩後「霊蜂信貴山と戦国の夢街道」を下り奥之院に向かう。参拝後奥之院裏手の山道を下り切り通しの道路を歩き250号平群信貴山線を横断し「十三街道と業平ロマンの道」を歩き竜田川駅で解散。           永野 記

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