例会報告
2025.04.10
聖天山・阿倍野七坂
開催回
第2088回日程
令和7年2月9日(日) 晴れ
参加者
CL 永野 (23名)
活動内容
コースタイム
阿倍野防災センター11:20~聖天山公園昼食(11:45~12:15)~安倍晴明神社12:45~相生坂13:04~安部野神社13:26~天下茶屋跡13:40~帝塚山古墳14:08
聖天山は、阿倍野区の西の端上町台地南端に位置する小高い丘で、聖天山公園南側の天下茶屋の聖天さんと呼ばれる海照山・正圓寺境内が山頂の標高14m の低山で、天保山・御勝山・茶臼山・帝塚山と並んで「大阪アルプス」と名付けられ大阪五低山の一つに数えられる。山名の由来は、山頂一帯に建っ正圓寺に大聖歓喜天を祀ったことから、聖天山と呼ばれるようになった。上町台地の高低差が実感できる切り立った崖が続く、阿倍野区の南西部は、縄文時代に起こった縄文海進によって、谷が入り組んで出来た地形の為南北に多くの坂が作られた。阿倍野七坂は、阿部野神社を囲むようにして、かって桜並木が美しかった、さくら坂・阿部野神社に由来する名称の、やしろ坂・みや坂他に、みどり坂・みなみ坂の五つの坂と、少し北の相生通と交差する相生坂・相親坂の二つの坂の計七つの坂の総称で、谷地形を利用して作られた七つの坂を巡る。
体験型防災学習施設あべのタスカルで、高さ6m 超の巨大スクリーンによるシアター映像や、災害時に必要な一連の行動をツアー形式で体験学習する。(10:10~11:10) 阿倍野防災センターを出て西に向かい、東半円階段を下ると、左手に大河ドラマべらぼう・蔦重栄華乃夢噺に登場する風情を彷彿させる大正時代に建てられた、遊郭建築に意匠して再現された、登録有形文化財で現在は、お食事処「鯛よし百番」として営業が続く、極彩色が際立つ建物が現れる。建物の前を通り、阪神高速松原線の下をくぐり、住宅街の中を進む。3年程前、天下茶屋東の急峻な崖の上に建っ住宅2棟4軒の擁壁が崩壊し、約9m 下の崖下に崩落した衝撃の天下茶屋崖崩れの跡を見て、上町台地の高低差を確認する。上町台地西端の上町断層による急崖になっているヘリに沿って歩き、聖天山古墳の一部と推定される聖天山公園で昼食休憩。公園の西の階段を下り、左折すると大聖歓喜天と刻まれた大きな標石と石段があり、登り詰めると聖天山山頂になる正圓寺の前に着くが、門は堅く閉ざされて入れない。松虫通で、あべの筋に向かい松虫塚の前を通り、松虫の交差点で寺社や史跡が残る旧熊野街道を南下する。街道に沿った左側には、安倍晴明神社があり、野村萬斎主演の映画「陰陽師」で一躍有名になった安倍晴明誕生の伝承地で、安倍晴明が祭神として祀られている。
80m 程南の、クスノキの巨木が枝を大きく広げている阿倍野王子神社境内には、リアルな三本足の八咫烏が祀られている。経塚の先で右折し上町線を渡り、相生通を西へ緩やかに下って行くと、左側に阿倍野七坂の一つ相生坂があり「相生阪」と刻まれた大きな標石が建っている。阿倍野相生郵便局前の相親坂には、「徂親」だけ読める標石が埋まっている。三叉路の角にタバコ屋がある辻を左折し、谷筋だった道路を登って行くと右側に「さくら坂」と刻まれた石柱があり、次の辻の右側には「やしろ坂」と刻まれた石柱がある。緩やかに登って行くと「みどり坂」の石柱が現れ、その先の「みなみ坂」の石柱が埋まる坂を登って行く。道なりに直進し、ライオンズマンションに沿って右折すると正面に阿部野神社が見えてくる。境内には、南北朝時代の初期、後醍醐天皇の命を受け、若くして散った花将軍と呼ばれた北畠顕家の像が建っ。北畠親房と北畠顕家の両公が祀られている本殿の前には、週刊少年ジャンプに連載中で今週の表紙を飾る「逃げ上手の若君」に主人公北条時行(鎌倉幕府14代執権北条高時の次男)と共に登場する北畠顕家が描かれた、神社と週刊ジャンプがコラボした幟がはためく。阪堺線を渡り、天神の森天神社で観梅後、紀州街道を渡り、豊臣秀吉が大坂城から住吉大社へ参詣時に立ち寄って茶の湯を楽しんだ天下茶屋の屋敷跡を見る。阿倍野七坂最後の「みや坂」を緩やかに登り、閑静な住宅が建ち並ぶ街並みを見ながら、南港通を渡って、南海高野線帝塚山駅に向かって歩き、古墳になっている三等三角点が埋設された帝塚山19.88m の前で解散。 永野 記