例会報告
2021.03.05
牛松山
開催回
第1891回日程
令和3年1月10日(日) 晴れ
参加者
CL永野 16名
活動内容
コースタイム
亀岡駅9:10~丹波亀山城跡9:30~保津八幡宮9:50~福性寺10:10~金比羅神社昼食(11:42~12:15)~牛松山山頂12:23~第二ベンチ12:46~愛宕神社13:23~亀岡駅15:00
丑年の干支の山、牛松山636mは京都府亀岡市保津町にあり、保津川とともに亀岡盆地のシンボルとして知られる。亀岡盆地の東側にどっしりと腰をすえた山容で聳えるその秀麗な姿から、地元では別名丹波富士とも呼ばれている。山頂には風雪に耐えた金比羅神社が建ち、大物主命(大国主命)が祀られ保津川下りの船筏師たちの守り神として崇められ、境内にある絵馬堂には保津川下りの船を小ぶりにした2艘の奉納船が吊り下げられている。牛の名の付く山は、全国にある有名な山だけでも94山はあり、(三省堂日本山名事典石井光三十二支の山)、夜景で有名な北海道の函館山334m、別名臥牛山や北アルプスの二百名山赤牛岳2864m等は牛が寝そべっているような穏やかな山容が山名の由来とされているが、牛松山は古くは石松ヶ嶽と言われていたのが、雨乞いのため山頂に牛を生贄にしたのが原因で石松から牛松に変わったと伝えられている。1577年から1579年にかけ、明智光秀が丹波攻略の拠点として築いた城下町亀岡の丹波亀山城跡南郷公園の明智光秀公像より、2020年1月より放送が始まり2021年2月7日放送のクライマックスも近づきNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で盛り上がっている亀岡の街を歩き、牛松山をめざす。天正10年(1582年)6月2日、明智光秀は本能寺の織田信長を討つべく、13,000の兵を3段に分け、丹波亀山城を後にした(本能寺の変)。朝礼後、我々は明智越えルート分岐保津に向かって丹波亀山城跡を後に新保津橋のバイパスを歩き、保津の交差点を右折し、極彩色が美しい保津八幡宮で休憩。
神社裏の明智越えルートを右に別け、ふるさとの歴史と伝統文化を育む保津百景道しるべ「馬の頭」を右折し、金比羅神社2.8kmの道標を見て、福性寺に向かう。寺を過ぎ、防獣扉を開け山道に入る。一の鳥居をくぐり、尾根筋の参道には1丁より18丁までの石標が続く。4丁を過ぎ振り返ると亀岡駅を中心に市街地(城下町)が広がり、樹間を見上げれば雲一つない青空が広がり陽光が強く眩しい。丁石を数えながら登っていき18丁の丁石の後、56段を登り金比羅神社の境内で昼食休憩をし、GOTOトラベルで北海道函館山登山をし、地域クーポン券で購入のバター飴を食べる。食後、踏み跡を辿り、NHKのパラボラアンテナが建つ636mの山頂に着く。東には愛宕山の稜線が続く。記念撮影をして、西に少し下った左手林の中の三等三角点629.2mを見て国分に下る。NHK・KBS京都亀岡テレビ中継所を過ぎると急な下り坂が続く。第2ベンチで休憩し、第1ベンチは素通りして標高230m地点の送電線鉄塔への標識「火の用心№30、№31」を右にとり下っていくと林道にでる。林道を下り、左手愛宕神社に参拝する。
火廼要愼の御朱印がもらえる本殿前の杉の御神木上部にあるムササビの巣穴を神職の人に説明してもらう。ムササビが生息する愛宕神社の森は京都の自然二百選に選定されている。神社からは広く整備された参道を下り、亀岡園部線を亀岡駅に向かう。保津橋南詰めの保津川下り乗船場よりサンガスタジアムbyKYOCERA内に特設されている麒麟がくる京都大河ドラマ館に入り、牛松山登頂証明書を全員分いただき、光秀大河物産館の前より亀岡駅2F北デッキで新年初例会を祝し、富士形が美しい牛松山をバックに全員で乾杯し、解散。
永野 記