例会報告
2024.12.03
河内飯盛山でアケボノシュスランの花
開催回
第2073回 花紀行第6回日程
2024年10月6日(日)
天候 晴れ
参加者
参加者 CL土岐岡 16名
活動内容
行程
野崎駅9:20―9:30野崎観音―9:50城跡―11:15アケボノシュスラン群生地―11:35河内飯盛山(昼食)12:20―13:45四条畷神社―14:20四条畷駅
山行記録
危険な暑さ、災害級の暑さと言われ、連日、熱中症警戒アラートの出た今年の夏でした。 そんな夏でしたがようやく秋の訪れが来ました。
河内飯盛山は既に例会として過去、企画実施されていたようですが、秋に咲く珍しいアケボノシュスランなどの花めぐりをしましょう、とまだ少し暑さが残る神無月(10月の古名)に例会山行しました。
野崎駅に集合し、正面の野崎観音に向かって進みます。野崎観音は毎年5月には「野崎参り」が催されるそうです。 参道を山手に行くと長い石段があり、野崎観音の本堂に着く。 ここで一本立てた後、横手から山道に入ると道の両側は常緑樹が生い茂り、太陽の直射を遮ってくれるが、今年も残暑が厳しく早くも汗が流れてくる。
例会時案内を省略しましたが登り始めの登山道の脇に石碑が建っており、「凡人の幸せ明日をうたがわず 村雲」と書かれていて、煩悩具足の凡夫である私には、この句の深い意味は分かりませんが、作者の村雲は「むらくも」とも読め、月にむらくも花に風…明日は明日の風が吹く、くよくよしないで、と言うことでしょうか。
山道を登って行くと、竹林コースと七曲りコースの分岐になり、ここは足元のいい七曲りコースを進む。 石段や木の階段を踏みながら行くと、足元にはアベマキやクヌギの大きなドングリの堅果がいっぱい落ちている。 やや湿った登山道にはヤブミョウガ、イノコヅチ、ムサシアブミ、イヌホウヅキ、ハナタデ(ヤブタデ)、ヒガンバナ、ゲンノショウコなど夏の残り花や秋の花後の実などが見られました。 下界は残暑でも山では木本も草本もこうして秋の訪れを知らせてくれます。
やがて城跡に着く。中世の頃にこの飯盛山の広大な山域にいくつも山城が築かれていたそうです。再び木の階段を登り、小さなアップダウンを更に進むとようやく稜線に出た。
尾根筋からすぐに谷側に降りると、少し薄暗く感じる場所に目的のアケボノシュスランの群生地が現れました。
ラン科で山地の落葉樹林下に自生する、常緑の多年草です。9月から10月ごろに咲くアケボノシュスランは、カトレアやコチョウランのような派手さはありませんが、小さくとても可愛い姿を見せてくれます。名前の由来は、花の色を明け方の空(曙色)に例え、葉の光沢を織物の繻子に見立てたと言われています。 ここの自生地はシロバナアケボノシュスランでツユクサシュスランの変種ではといわれています。
花の高さに腰を落として目線を下げると、可憐なアケボノシュスランの花と対話できます。
♪ 赤い花白い花 摘んであのひとにあげよ あのひとの髪にこの花 さしてあげよ 赤い花白い花あのひとの髪に咲いて揺れるだろう おひさまのように♪(詩:中林ミエ)。そんな歌が聞こえそうな清楚な花でした。
2カ所の群落を鑑賞して稜線に戻り、尾根筋を進みアンテナ塔を過ぎると楠公の銅像が立っている。 そばに大きな東屋(休憩所)があり、ここが飯盛山山頂である。標識には楠木正行と高師直が戦った四條畷の戦いの古戦場、三好長慶が居城にした飯盛城があった、と書かれていました。周辺にはヒヨドリバナ、アレチヌスビチハギなどが咲いています。 展望もよく、ゆっくり食事タイムしました。
ここから四条畷神社に下っていきます。長い下りの途中に展望台があり、ベンチが置かれていて、水分補給してしばし眺望を楽しみました。左手には六甲山の山並、右手には京都のポンポン山、愛宕山が遠望できます。 この後チェーン付き階段の激下りが少しあり、皆さんで慎重に下りて無事、四条畷神社に到着し解散しました。 ここから参道を下りJR四条畷神駅に着いて今日の山行を終わりました。
暦の上では秋とはいえ、まだ暑さが残る今日の山行でしたが、夏に咲いていた花や初秋に咲く花が混じり、多種多様の山野草に出会って、低山と言えど自然の豊かさを感じられたのではないでしょうか。
花はこころの栄養、野菜は身体の栄養と言います。これからも花紀行を続けて心の栄養を蓄えたい、ですね。
♪人生程よく 機嫌よく!
♪明るく 楽しく 元気よく!
迷い捨て 思いめぐらす 来し方の 山に黙して シュスランの花
(by 山の子)
(記)土岐岡