例会報告
2021.05.27
河内飯盛山
開催回
第1903回日程
令和3年4月4日(日) 曇りのち雨
参加者
CL 永野 18名
活動内容
コースタイム
野崎駅9:30~野崎まいり公園9:42~野崎観音10:00~野崎城址10:16~
虎口11:15~飯盛山山頂昼食(11:25~12:00)~滝谷楠水の場12:25~
権現の滝12:40~四条畷神社13:40~小楠公墓所14:11~四条畷駅14:24
河内飯盛山314mの山頂付近に築かれた飯盛城の規模は、南北650m東西400mに及び大阪府下最大級の戦国山城であった。永禄3年(1560)信長以前の天下人で戦国武将・三好長慶が居城とし、三好政権の政治的首都であったと言われている。飯盛城は優れた文化財・史跡、著名な歴史の舞台、時代・地域の代表等をクリアして、2017年4月6日、城の日に、続日本100名城に認定され、以前にも増して全国より城郭ファンが訪れている。野崎駅東口を出て、谷田川に架かる朱塗りの久作橋の上で朝礼をし、河内名所図絵より引用された野崎まいりと屋形船が描かれた大東市のマンホールの蓋を見ながら桜吹雪が舞い散り三好長慶と染められた幟がはためく春爛漫の参道を野崎観音に向かう。途中参道を左折し東高野街道に沿った野崎まいり公園の建物で休憩。飯盛山西麓につけられた、この街道は天正10年(1582)6月2日徳川家康が少人数での堺見物中に本能寺の変が勃発し、急ぎ岡崎へ戻る為、家康の生死をかけた伊賀越えに使われた街道と伝わる。2023年1月より放送が始まるNHK大河ドラマ「どうする家康」主演、嵐の松本潤でこの場面が登場するか?放送が待たれる。参道の石段を登り詰め、野崎まいりで有名な野崎観音(慈眼寺)に着く。境内奥の「お染久松の塚」には悲恋物語が漂い1710年に起こった心中事件は今も文楽・浄瑠璃等で演じられている。本堂左側より絵日傘七曲りコースで階段の多い山道を登り、展望のきく広場の野崎城址は四条畷合戦において、北朝方縣下野守がこの地に陣を置き、南朝方の楠木正行と対峙した。休憩後少し下り沢を渡って舗装道を登ると、その先には七曲りのつづら折れの急登が続く。登りきって辻ノ新池の少し手前で左折し、ツツジ尾根を登る。尾根筋の山ツツジは花芽が朱く萌え、山桜は赤茶色の若葉を出し、わずかに膨らんだ蕾に紅をにじませ、幾重にも重なった枝は微かな風に音もなく葉をゆらす。虎口より生誕500年を迎えた三好長慶の飯盛城祉に登城し、NHKとFM大阪の送信所がある広く平らになった千畳敷跡を通り、一旦下り登り返して高櫓があった飯盛山山頂に着く。山頂に立つ凛々しい若武者姿の楠木正行像の視線の先には、父楠木正成より短刀一振りを託され、今生の別れとなった鳥本町の桜井宿があり、今も時を超えじっと見続けている。景色は、少しの想像力で心に残る映像となる。桜の回廊となった山頂北側の展望台で大阪市街地の眺望を楽しみながら昼食。
展望台の東側より下山し、飯盛城祉の石垣を見て楠公寺に向かう。寺横の山道を下り、2ヵ所で冷水が湧いている滝谷楠水の場で休憩。出合ペルトン水車跡まで下り、権現川の渓谷を詰めると竜神伝説を秘めた権現の滝が現れる。落差は15m、八大龍王の姿を現すという伝説が残る幽玄な滝は行場になっていて四条畷八景の一つに数えられる。休憩後、登路を引き返し、蟹ヶ坂室池コースと合流し下っていくと時刻は13時を過ぎ、狭い峡谷の空よりポツリポツリと雨が降り始める。花散らしの雨の中、権現川を花筏となって流れる桜の花びらを見ながら川に沿った登城道を下り、御机神社裏手より眺望270°スポットへのコース出会いを右にとり、桜でピンクに染まった山道を下り四条畷神社へ。神社には1348年の四条畷合戦(岩波文庫太平記四第二十六巻)で高師直らと戦い敗れ自害した楠木正行公を主祭神として23人の臣下を祀る。休憩後石段を下り、小楠公墓所の大楠と四条畷神社の桜をモチーフにした四条畷市のマンホールの蓋を見て、楠公通り商店街を歩き、小楠公墓所へ。
入り口には「くすの木の こもれ日あびる 小楠公」の碑があり、大久保利通筆による、高さ7m50の巨大な墓標が建ち、横の樹齢587年の巨龍昇天のうねりに似た生命力溢れる楠の幹まわりは12m以上ある。参拝後、四条畷駅まで歩き解散。 永野 記