PAGE TOP

例会報告

2024.05.19

例会報告

大黒寺~壺井八幡宮~叡福寺

開催回

第2022回

日程

 令和6年3月31日(日)   曇り

参加者

参加者  CL根来    17名

活動内容

コースタイム   古市駅東出口広場で朝礼後出発9:19  臥龍橋ガリョウバシ東詰で石川河川敷9:45・・大黒寺10:10~21・・壺井八幡宮11:06・・通法寺跡11:30~40・・和みの広場で昼食12:21~13:00 ・・叡福寺、五字ヶ峰13:10~34・・西方院13:40・・用明御陵14:04~09・・孝徳御陵14:43~49・・(全コース613年設置の大道、今の名で竹内街道で)上ノ太子駅15:43
 

古市駅でスタート。間もなく石標があった。SLのKさんはこの地域について詳しいので説明をしてもらった。竹内街道と東高野街道の交差点であって古くから賑わっていたと、例会出発点にして貴重なお話。
石川に架かる臥龍橋を渡った。「龍が寝そべっている」という意味なのか。龍は頭がとても立派だが尻尾は貧相なので、今日の例会が龍頭蛇尾にならないよう、少しでも有意義な一日になるよう努めよう。
橋の東詰で石川河川敷に下りた。大阪府営五公園の一つだけに歩きや自転車、色んなスポーツのために整備され、その維持も完璧である。
20分ほどで河川敷を出て大黒さん発祥の大黒寺。続いて壺井八幡宮へ。
源頼朝、義経のご先祖源頼信、頼義、義家、河内源氏三代ゆかりの神社である。頼義義家が陸奥ムツで前九年の役に勝利して水を壺に入れて持ち帰り、必勝祈願をした八幡さんをお祀りして壺の水は神社の前に井戸を掘って埋めた。この霊泉を見て河内源氏三代が眠る通法寺や墓地ヘ急ぐ。「壺井八幡社」「通法寺」として日本名勝地誌(明治26年)に詳しい解説がある。
歴史の舞台は羽曳野市から太子町へ。和みの広場で昼食後聖徳太子の御廟所である叡福寺、続いてバス道を渡り石段を上って向かいの西方院へ。太子の乳母三人が眠っている。河内名所図会(1801年)には「叡福寺」「西方尼院(ルビさいはうにいん)」として、叡福寺とともに内部の地図つきで詳しく紹介されている。太子のお墓は真正面。見守るには絶好の位置だ。
聖徳太子の父、用明天皇の御陵、大化改新(645年)で蘇我氏は滅びて天皇中心の政治に移った。その時即位した孝徳天皇の御陵で幕とした。
何とか龍頭蛇尾にならず、楽しい一日ウオークでした。SLのKさんはじめ参加者皆さんのご協力の賜です。有り難うございました。 リーダー記

Print Friendly, PDF & Email