例会報告
2024.03.10
初山行 龍王山
開催回
第2037回日程
令和6年1月7日(日) 晴れ
参加者
参加者 CL永野 (23名)
活動内容
コースタイム
JR柳本駅9:45~黒塚古墳展示館9:55~天理トレイルセンター10:12~長岳寺山門10:18~登山口10:33~不動石像11:18~長岳寺奥之院分岐11:45~舗装林道出会12:07~山頂12:24~藤井田龍王社昼食(12:40~13:15)~不動の滝14:20~崇神天皇陵14:52~JR柳本駅15:05
2024年干支の山龍王山586mは、奈良県天理市と桜井市の境に聳える山で、万葉まほろば線の柳本駅東3Kmにあり、大和青垣の山々の中でも盟主として一番の高さと大きな山容を誇る。15世紀の戦国時代に北峰と南峰の山頂一帯に築かれた龍王山城は、奈良盆地と大和高原を扼える要衝にあり、土地の豪族十市遠忠が山城を築城し、十市城とも呼ばれていたが永禄11年(1568)松永弾正久秀に攻められ落城し、城主として久秀の嫡男久通が入城した。久秀は、1577年石山本願寺を攻めていた織田信長に反旗を翻し居城の信貴山城(令和4年初山行信貴山で訪れる)に籠城するも織田軍に包囲され、久秀は名器平蜘蛛茶釜を粉々に割り屋敷に火を放ち焼死する。この時久通も自害し龍王山城は織田信長により廃城になる。山名の由来は、雨乞いの為の龍神信仰に基づくもので、山頂近くにある登り口の地名を冠した藤井田龍王社と柳本龍王社では、かって雨乞いの神事が行われた。柳本駅前で新年の挨拶を交わし、辰のパッケージに入った、いいことタッぷり起こるよ!・その夢タッ成できるよ!等のメッセージが書かれたキットカットを年賀として配り正面に聳える龍王山に向かい住宅街の中を歩いて行く。長谷街道と交差し、その先には濠の水を満々と湛えた黒塚古墳が浮かぶように見える。黒塚古墳は、邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏から贈られたとされる銅鏡で卑弥呼の鏡と呼ばれる三角縁神獣鏡が、我が国最多の33面が出土して邪馬台国畿内説の原動力になっている。黒塚古墳展示館で、三角縁神獣鏡の正面は磨きあげられた鏡、背面に神獣の細かいデザインと周縁が山形に鋭く尖る形で直径22cm 重さ1kg の複製を各人に持ち上げてもらう。国道169号を渡り山の辺の道と出合、天理市トレイルセンター前で休憩。長岳寺山門より本堂に向かい少し手前の道標で柿畑が続く農道より登山口を目指す。左手に路傍の石仏を見て小川を渡りV 字状に土が抉られ落葉で滑りやすく歩きにくい登山道を登って行く。抉れて、ぬかるんだ山道より尾根に取り付き、岩盤が露出した岩場を登り、中間点の不動明王の石仏を過ぎると傾斜が緩みやがて長岳寺奥之院分岐に着く。
分岐を右に見送り標高差70mと言われる急登を登りきると天理方面に続いている舗装林道に出合う。柳本龍王社への道標で山頂に向け登って行き祠の前を通り登り詰め南城跡の龍王山山頂にタツ!!2等三角点が埋まっている山頂広場からの眺望は絶景で、眼下には、大和三山が浮島のように見え遠望すれば、右端の生駒山から左端の金剛山までの金剛生駒国定公園に連なる山々を一望することが出来た。
山頂より東方向への山道を下山すれば、笠に至り荒神の里笠蕎麦は、登山者に人気で利用者が多い。寒風が吹き抜け松が寒さに震える山頂を早々に下り、柳本龍王社への分岐を右に取り、てんぐ岩展望台より雨乞い由縁の水神を祀る藤井田龍王社の前で昼食休憩。
食後、長岳寺奥之院への道を取り、コンクリートの階段から山道に変わり谷の源頭を下って行く。長岳寺奥之院で高さ1.5mの不動明王の石仏を見て、小川を左岸に渡ると植林の山道になり、山道の左手奥には龍王山古墳群が続く。不動の滝への門をくぐり、龍王山の水をあつめ水しぶきを上げ落下する不動の滝を見て、林道を下って行き山麓の田畑が現れると、程なく山の辺の道と出合う。大和古墳群のほぼ中央に位置する第9代開花天皇の第二子崇神天皇の陵に向かって、山の辺の道を歩く。この辺りは、大和平野が一望出来る絶好のポイントで、ここから見る二上山の夕日の美しいシルエットは、絶景と言われている。天皇陵の周囲には、満々と水を湛えた濠が巡らされていて、渡り鳥が羽を休める濠に沿った東側の道を歩き、正面の崇神天皇陵遥拝所より、柳本交差点を渡り、往路を歩き柳本駅で解散。 永野 記