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大峰山弥山遭難事故から学ぶこと

 2022年8月4日、愛知県の女性二人(61歳、69歳)が弥山に登るため、正午に天川川合から出発した。川合ルートを通って、弥山小屋に着いたのが午後9時。七夕(旧暦)の満天の星を眺める事が目的でした。あいにくの曇り空で、星は見えなかった。翌5日は、八経ヶ岳~明星ヶ岳~高崎横手出会~川合ルート合流のルートを通って、下山する予定だった。高崎横手出会の少し手前に、道標があり左「トップリ尾登山口4.2km」、下りてきた方向に「明星ヶ岳2.1km」とあった。ここで少し方向がおかしいと思ったが、いずれ川合ルートに合流すると思い、そのまま左の「トップリ尾登山口」方向に進んだ。最初は道があったが途中から、道が踏み跡程度になり、おかしいなと思った。登りかえすのも嫌だと思い、そのまま下った。そのうちに急坂になり、座りこんだ状態で、滑り続け下ると沢に出た。道を間違えたとこの時初めて自覚した。その日は岩陰でビバークする。翌日さらに谷を下り、堰堤まで来たがそれ以上は段差があり行けなかった。近くにあった作業小屋に避難した。携帯電話は通じなかった。
 5日に下山後宿泊する予定の宿から、警察に届がありに遭難したと判断され、6日に警察が捜索を開始した。警察は発見できず、5日間で捜索を打ち切った。遭難した二人は、作業小屋で救助を待っていたが、これ以上救助を待っても無理と判断し、13日に1人が救助を求めて、12時間をかけて山を登り返し、尾根に出たところで、偶然携帯がつながったため、警察に電話し、翌14日ヘリにより二人とも救助された。遭難してから10日目であった。スマホの地図アプリは使用していなかった。
以上は、YAMAPとNHKの記事を参考に抜き書きしたものです。

 遭難のきっかけは、道標の方向板が2方向しか設置されておらず、直進する川合方向の標識はなかった。どうしてこのような道標が設置されたのでしょうか。明星ヶ岳から川合への道は、10年ほど前にできた道で直進する道でした。2年前に五条市が荒れていたトップリ尾を通り、トップリ尾登山口に通じる道を整備した。その時、天川村との境界に道標を設置し、標識を2方向のみとし、川合方面の標識は設置しなかった。その為登山者が直進せず、左折した。

事故後、わかりにくい道標が存在する背景について、国立登山研修所溝手専門委員の話として次のような点が指摘されている。

「日本の登山道は、はじめから登山道として整備されたのではなく自然発生的にできたものが多い。管理者や整備主体があいまいで、事故時の責任や、費用の負担などを避ける傾向があり、管理者を決めない状況がある。マイナーな山や、ルートでは、あまり道標を信用しない方が良い。」(要約)

遭難の検証を行った三重県山岳連盟の居村年男元理事長は、「自己責任が原則の登山において、道標は遭難の言い訳にはならないが、今回の遭難はこの道標がきっかけになった」と指摘している。(要約)

 ここまで読んできて、あなたはどう感じましたか。以下は私見。
(1)少しまずかった点
①地図を各人持たず、1部しか持っていなかった。休憩時に忘れて来た為、下山時には地図を持っていなかった。その為道標がある分岐点で、周囲の状況や下山方向が確認できなかった。②入山後下山ルートを変更したため、初めてのルートの状況をよく把握していなかった。③道を迷ったとき、すぐ引き返さなかった。④スマホは持っていたが、地図アプリを入れていなかった。⑤携帯圏外でGPSが使えると、知らなかった。

(2)良かった点
①作業小屋に避難しているとき、薪を集めて、火をつけて煙を立ち昇らせて、発見してもらうように務めた。②小屋の中で焚火をして暖を取った。③薪を集めるのが日課になり気分がまぎれた。④遭難9日目に1人が、急な斜面を登り、何度も滑り落ちながら稜線まで出て、携帯で警察に助けを求めた。⑤サバイバルシート、火をつけるライターを持っていた。

「道標に全信頼を置いてはいけない。すべて自己責任」なかなか思い重い言葉ですね。しかし、遭難の度に言われていることですが、道を迷ったと思ったときは、すぐに引き返す。これがなかなかできないのが、人間なのでしょうか。一番大事なことですが。

最後に遭難者の反省の言葉を載せます。

①事前に地図で歩くルートや周辺エリアを把握しておくこと。

②コースタイムは、休憩なしなので、休憩時間を含めた余裕のある計画を立てること。

③現場では、道標だけでなく、地図と周辺の地形図を見ながら、現在地を確認するなど、基本を徹底する事の大切さを学んだ。

 下記のYAMAPとNHKの報道を元に記事を書きました。YAMAPとNHKの詳細な記事を読んで、あなたの参考にして下さい。

奈良・弥山 遭難事故の記録|小さな火、絶やさなかった10日間 | YAMAP MAGAZINE

山で10日にわたり遭難 “きっかけは道標” 奈良 八経ヶ岳で 登山の心構えは|NHK事件記者取材note

上:国土地理院の地図:トップリ尾分岐付近 トップリ尾登山口ルートは載っていない。二点鎖線は、天川村と五條市の境界線 
左下:NHKの記事の写真
右下:ヤマレコオンラインの地図(トリップ尾分岐と高崎横手出会い)

(注)トップリ尾分岐からトップリ尾登山口までのルートを調べてみた。現在、国土地理院、ヤマケイオンライン、昭文社の登山地図(2022年版)等には、掲載無し。ヤマレコには、トップリ尾分岐からトップリ尾登山口まで登山ルートとして掲載されていた。また、遭難事故後、道標の標識には、誰かが川合方面の表示を書き込んでいる。    (2022.11.19 國司)

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