例会報告
2024.07.20
茶臼山・天王寺七坂
開催回
第2058回日程
令和6年6月16日(日) 晴れ
参加者
CL永野 (27名)
活動内容
コースタイム
OMO 7大阪by 星野リゾート(9:10~10:38)~茶臼山11:07~一心寺11:12~清水寺11:40~愛染堂12:05~口縄坂12:32~生玉公園昼食休憩(12:58~13:30)~真田山電子基準点「大阪A」14:07~JR 玉造駅前14:35
茶臼山は、天王寺公園内にある標高26m の低山で、天保山・聖天山・御勝山・帝塚山と並んで大阪五低山の一つに数えられる。大阪冬の陣では徳川家康が、大阪夏の陣では豊臣方の真田幸村が、布陣した茶臼山の戦いの舞台として知られる。天王寺七坂は、天王寺区の上町台地西側の谷町筋から松屋町筋にかけての、七つの坂の総称で、南側から逢坂・天神坂・清水坂・愛染坂・口縄坂・源聖寺坂・真言坂がある。物語を秘めた天王寺七坂を、都会の喧騒を避けて巡り、石畳と石段で造られた美しい坂の景観を楽しみ、高低差約15m を上り下りしながら、大阪の風情を色濃く残す天王寺界隈の神社・仏閣を訪ねる。OMO 7大阪by 星野リゾートの非日常の空間で、カフェモーニングを満喫し、天王寺七坂の資料を配布して出発。堺筋を渡り、スパワールドのビルより正面に通天閣を仰ぎ、公園本通を歩き天王寺公園に向かう。河底池に架かる朱塗りの和気橋を渡り、茶臼山に登頂する。徳川家康が大阪冬の陣で、この地に立って以来410年の時を経て、今我々もこの地に立つ。当時は、真田丸や大阪城まで見渡せた山頂は、樹々に囲まれ展望は利かない。
西斜面を下り、通りを西に向かえば、天王寺七名水の玉手の清水の碑が建つ。一心寺に南門より入ると、境内開山堂の左側には、日本では珍しい世界三大花木の一つ、ジャカランダの木が三本植えられている。青紫の花は、満開に咲き誇り甘い匂いを漂わせている。北門を出て、古来には、逢坂と呼ばれたR25 を東に緩やかに登り、一心寺前の交差点を北に渡り天神坂に向かう。天神坂の石畳を下り、真田幸村戦死の地、安居神社(天神社)境内へ。社務所横の崖下には、菅原道真が飲んだと伝わる安井の清水(癇静めの井)がある。天神坂上り口北側の増井弁財天の境内には、増井の清水の井戸の屋形が残されている。清水寺西門より境内に入ると、東側懸崖の4~5mの高さから3本の石の筧で、流れ落ちる京都清水寺音羽の滝を模した玉出の滝は、大阪市内で唯一の天然の滝とされる。滝の前に立つと都会の喧騒を忘れさせる静寂が漂う。西側の崖上には舞台が造られていて、通天閣等を遠望する。清水坂上り口北側にある泰聖寺境内には、金龍の清水が湧く。車の進入を拒み往時の静けさを保っている清水坂の石畳の階段を上って行く。坂は、夕暮れになると、古風で風情のある街灯が点る。
谷町筋の大阪星光学院に沿って左折し愛染坂に向かう。縁結びで知られる愛染堂が名前の由来で、境内には、縁結びの木「愛染かつら」があり、本堂西側には、点名愛染堂標高21m の3等三角点が埋設されている。大江神社境内北西にある、狛虎が微笑ましい、阪神タイガースの聖地を訪ねる。西側には、夕陽岡の碑が建ち、平安時代には、高台の下まで海が来ていた。ここからは、今も夕焼けが美しい。百一段ある百歳の階段を下り、愛染坂の〰️模様に刻まれたコンクリートの坂を上る。坂の途中の右側には、東海道中膝栗毛や摂津名所図絵で紹介された料亭浮瀬(うかむせ)があったと案内板に書かれている。句会が行われ芭蕉は「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」の句を残す。坂の下り口に、織田作之助の文学碑が建ち、司馬遼太郎が「俄」の舞台とした趣のある石畳と石段の口縄坂は、下から見ると坂の起伏が蛇(くちなわ)の腹に見えることから名前の付いた坂で、天王寺七坂で最も人気がある。数々の物語を秘めた坂を歩き松屋町筋に下りる。寺院が並ぶ松屋町筋を北上し、学園坂の交差点を渡り、源聖寺横の源聖寺坂の石畳・石段・石畳と続く石畳には、1969年廃止になった大阪市電の敷石が転用されている。
歴史を感じる美しい坂を上って行くと「夫婦善哉」の舞台になった坂の上に着く。生玉公園で昼食休憩後、生國魂神社境内を歩き、井原西鶴を師と仰ぎ上方文化の発展に大いに寄与し、33歳の若さで逝った織田作之助の像を見て、北門より真言坂の石畳の坂を下り千日前通に出る。谷町筋の谷町8交差点より東高津北之町筋を、暑さで街の景色が揺らぐ中、影を拾いながら東に歩き、真田山公園で、大阪市内唯一の真田山電子基準点「大阪A」標高12.5m を見る。玉造筋の真田山交差点を渡り、商店街を歩く。アーケードの柱には、真田幸村(史実では真田信繁)に仕えたとされる、真田十勇士の霧隠才蔵・猿飛佐助・根津甚八等の名前が書かれた柱が続く。商店街より玉造幸村ロードを歩き大阪環状線玉造駅前で解散。 永野 記