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例会報告

2024.12.09

例会報告

三室山 (奈良)

開催回

第2070回

日程

 令和6年9月15日 (日) 曇り

参加者

参加者:CL 永野 (12名)

活動内容

コースタイム
法隆寺駅9:02~法隆寺iセンター9:25~法隆寺9:35~藤ノ木古墳10:10~斑鳩文化財センター(10:20~11:32)~念仏橋(業平橋)昼食(12:10~13:00)~龍田城跡13:13~三室山(13:40~14:00)~JR王寺駅14:15

三室山は、竜田川が大和川に流れ込む最下流の西側に位置する標高82mの山で、奈良県生駒郡斑鳩町の竜田川沿いに整備された、奈良県立竜田公園内にある。山頂には、東屋と北側には、能因法師の供養塔と伝えられる五輪塔が立つ。東側の眺望は、竜田川を見下ろす位置にあり、奈良盆地を見渡すことが出来、西側には、聖徳太子ゆかりの古刹・朝護孫子寺が建っ双耳峰信貴山の秀麗な山容を望むことが出来る。東麓のR 168沿いの石積の擁壁に埋め込まれた大理石の石板には、百人一首人気ランキング1位の十七番在原業平の「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」と六十九番能因法師の「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」の三室山と竜田川の紅葉の美しさを詠んだ二つの和歌が書かれている。能因法師の和歌は、大河ドラマ「光る君へ」の主人公紫式部(まひろ)と共に登場する藤原道長の孫祐家と「紅葉」のお題で、対戦し嵐山の紅葉を詠んだ祐家の和歌に勝利する。古今集などに詠まれ歌枕の地としても有名な竜田川は、歌川広重の「六十余州名所図会竜田川」にも描かれ、春は桜が咲き誇り、秋には紅葉の名所として、古来より多くの見物客が訪れる景勝地になっている。
法隆寺駅前の商店街を西に向かい、高架道路の下をくぐり大和高田・斑鳩線を北に向かう。陸橋の手前を左折し細い道を北西方向に進み、奈良街道三差路の辻で「右いせ」の古い標石を右折すると、正面に法隆寺参道の松並木が続く。R25を渡り観光案内所の法隆寺iセンターで休憩。松の馬場と呼ばれる参道を歩き、南大門をくぐり東大門から西大門に至る石畳の道の手水舎で右折する。東大門に向かい途中の常夜燈を左折すると、鏡池の西端には、生涯20万を超える句を詠んだ、正岡子規の最も有名な句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑が立つ。行動食に亀田の柿の種を配り、仁王像が立つ中門前へ。1400年の悠久の時を超えて飛鳥時代を今に伝える法隆寺の世界最古の木造建築群の金堂や五重塔を仰ぎ見る。西院伽藍前の巨岩に刻まれた法隆寺の文字は、平山郁夫画伯の書で、巨岩は明日香村の石舞台がルーツと伝えられる。西大門を出て、土塀が続く西里の街並みを散策し、6世紀後半の築造と推定され、金銅製馬具が出土し有名になった、古代ロマン溢れる大型円墳の藤ノ木古墳(藤ノ木は、当地の地名)を見る。予約を入れておいた業平道に面した斑鳩文化財センターの展示室で、学芸員より説明を受け、藤ノ木古墳より出土した副葬品のレプリカを見学し、映像ホールで20分の古墳の歴史映像を観賞する。文化財センターの前を東西に貫く、業平道を歩き龍田神社の北側より、古くから法隆寺の参詣道として賑わった龍田の街並みを今に伝える奈良街道を西に向かい太田酒造の手前を右折し、春日神社で西に向かう。
歌を詠めば六歌仙に数えられ、容姿は端麗、源氏物語の光源氏のモデルの一人といわれる平城天皇の孫で平安時代の歌人・在原業平(825~880)が、住まいの現在の住所の天理市櫟本町(在原神社)から大和郡山市・安堵町・斑鳩町・平群町を通り、河内・高安の河内姫のもとへ通ったとされる業平道の斑鳩町を東西に結ぶ古道の一部を歩く。業平道で竜田川に架かる業平橋を右岸に渡り、紅葉の名所竜田公園で昼食休憩。食後、竜田川右岸に整備された散策路を歩き、R 25が通る竜田大橋の下をくぐって、風光明媚な竜田川に架かる朱塗りが映える紅葉橋を渡り、左岸の丘を少し登ると堂山で、賤ヶ岳の戦い(1583)で七本槍の一人と言われた、初代龍田藩主・片桐且元の陣屋跡の龍田城跡に着く。片桐且元(1556~1615)は、豊臣秀吉に仕えた武将で、(1585)豊臣秀吉が金剛山へ参詣の時、増田長盛と共にお供として参詣する。秀吉は金剛山転法輪寺境内に、馬印の瓢箪形の「ひさご池」を作らせたと伝えられる。三室山の登山口で、在原業平と能因法師の歌碑を見て、舗装路をジグザグに登り、頂上より西側の住宅地の中を下り、JR 王寺駅前で解散。 永野 記

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